「個性」「自由」

 現代の特徴の一つは、「個性」や「自由」ということを非常に強調することだと思います。歌の歌詞、テレビやネット、さらには子どもの教科書などに至るまで、「君は君らしく」というような言葉で溢れています。反対に、何かに支配される、従わせられるということは不自由であり、悪いことであると思われる傾向は年々強くなっていると思います。

 しかし、それは、人間を神から引き離す願いを持った悪魔が持ち込んだ大変危険な傾向です。たとえば、車を運転する人は道路交通法で縛られています。また、電車は線路の上以外は走ることができません。それは不自由でしょうか。もし、道路交通法がなければ、多くの事故が起こることは避けられません。また、線路から外れた電車は自由なのではなく、脱線しているのであり、その後に待っているのは悲惨な横転です。また、惑星が軌道から外れたなら、もはや目印としても役に立たないばかりか、衝突の危険があります。

 それと同じように、人間が支配されるべきものに適切に支配されること、従わせられることは良いことなのです。それが人間を守り、またその人の役割を生み出しているのです。

支配されるべき相手

 では問題は、何に支配されるのかということです。確かに、間違った迷信的な考えや、横暴な人間に支配されるなら悲劇です。私たちが支配されるべき相手は、この世界を造られ、人間をも愛してお造りくださったまことの神様です。そして神は、ご自身のみことばである聖書を通して人間に語ってくださいます。

 聖書ほど多くの人たちの人生に影響を与えてきた書物は他にありません。また、聖書はその内容、預言の成就などを通して、自らが神のことばであることを証明しています。人間は誰でも、聖書のみことばを聞き、それによって神の支配の下で生かされるべきなのです。ところが、多くの人々の生き方はそれとは正反対であり、まさに神の支配を拒み、従わせられることを不自由なこと、悪とみなしています。聖書が語っている通りです。

「なぜ国々は騒ぎ立ちもろもろの国民は空しいことを企むのか。なぜ地の王たちは立ち構え君主たちは相ともに集まるのか。主と主に油注がれた者に対して。『さあ彼ら(=主なる神)のかせを打ち砕き彼らの綱を解き捨てよう。』」(詩篇 2篇1~3節)

「彼らの目の前には、神に対する恐れがない。」(ローマ 3章18節)

支配を拒んだ結末

 神の支配を拒むなら、人間には生まれてきた明確な目的や役割もなくなり、正しい善悪の基準もありません。その結果、不道徳による家庭や親子関係の崩壊、また色々な苦しみの中で生きる意味が分からない人たちが出てくることは避けられません。造り主を無視し、人間は偶然の積み重ねでできたと教えながら、いくら後付けで「あなたには価値がある」と言ったところで空しいのです。

 さらに、神によって造られ、毎日生きるのに必要なあらゆるものを供給して頂いていながら、その神を無視することは、国の法律を無視すること以上に無法行為であり、それこそ最も根本的な罪です。また、神が聖書を通して、してはならないと言われていること(偶像礼拝・不道徳・嘘・悪口を言うこと…)を人間は平気で行っています。それらの罪は、その人の死後に必ず精算されます。人間は、死んだ後で火の燃える地獄に投げ込まれなくてはなりません。

「しかし、臆病な者、不信仰な者、忌まわしい者、人を殺す者、淫らなことを行う者、魔術を行う者、偶像を拝む者、すべて偽りを言う者たちが受ける分は、火と硫黄の燃える池の中にある。これが第二の死である。」(黙示録 21章8節)

罪の赦しと救い

 ですから、ぜひ罪の赦しと救いを神に求めてください。神は、あなたを愛しておられます。そして、あなたの罪を赦すために、神の御子イエス・キリストを救い主として地上に遣わしてくださいました。そして、罪のない聖なる御方であるキリストを十字架に磔(はりつけ)にしてくださり、あなたに代わって罪のさばきを負わせてくださいました。父なる神はあなたを愛するがゆえに、ご自分の大切な御子を犠牲になさったのです!

 そして、神はキリストを死後三日目によみがえらせ、この御方こそあなたが信じるべき唯一の救い主、神のひとり子であることを証明してくださいました。あなたが神を無視してきたことを罪と認め、キリストを信じ受け入れるなら、それによってあなたの全ての罪は赦されます。キリストがすでにあなたに代わってさばかれ、捨てられてくださったので、キリストを信じるなら、あなたは地獄に投げ込まれることはありません。たとえ死が訪れても神のおられる天国に迎え入れられます。

 そして、キリストを信じたあなたは、人と比べる必要はなく、神にあって存在価値があることが分かるでしょう。なぜなら、この世界を造られた偉大な神が、あなたを救うためには、ご自分のひとり子さえ惜しまれなかったほどあなたを愛しておられるのですから。

「神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちにいのちを得させてくださいました。それによって神の愛が私たちに示されたのです。私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、宥(なだ)めのささげ物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。」(Ⅰヨハネ 4章9、10節)