私たちの身の回りには色々な情報があふれています。その中には有益なものも、無益なものもあります。また、一口に情報といっても色々なジャンルがありますし、人によって重要度に違いがあります。
例えば、インターネット上で流されている情報がよくそれを現わしています。車がほしい人にとっては自動車メーカーのホームページに載せられた新車情報は大変有益でしょうが、そのような人にとって料理のレシピのホームページなどは何の役にも立ちません。
さらに、私たちの周りにあふれている情報には、誤った情報や、虚偽の情報、思い込みによる間違った情報、意図的に事実が歪曲された情報などがないとは言えません。まったく効果がないのに嘘の情報を信用させられて、高額のダイエット食品を買わされて大損をしたというような話などはよく聞く話です。
このようにさまざまな情報があるわけですが、いわゆる情報の中には受け止めるべき側にとって、重大な「情報」もあります。例えば非常に悪い病気を患っている人にとっては、その病気の治療のための特効薬ができたという情報は非常に重要な情報です。また、少し違った面から考えると、赤信号とか火災報知器のベルの音とか、ダムの放水を知らせる警報のサイレンとかも、人々に危機を知らせる大切な情報といってもいいでしょう。
しかし、あらゆる人にとって重要な情報があります。それが聖書のみことばです。
聖書には人間がなぜこの世に存在するのか、また人は何のために生きているのか、そして今どこへ向かっているのか、どうあるべきなのかという大切なことについて記されてあります。そしてあなたにとってその情報は、非常の重大で大切なものなのです。
例)キリストについての預言(次にあげるのはほんの一例、これらすべては成就している。)
・ダビデの家系に生まれる。(紀元前1000年、旧約聖書箇所Uサムエル記7章12、13節にある預言)
・全人類の罪のために死ぬ。(紀元前750年、旧約聖書箇所イザヤ書53章にある預言)
・ベツレヘムの町で生まれる。(紀元前700年、旧約聖書箇所ミカ書5章2節にある預言)
そして、その聖書は、すべての人間が神様の前に罪人であり、罪のゆえに死んで、死後さばかれなくてはならないと警告しています。また、聖書には、すべての罪人が罪赦され地獄から救われるために神の御子イエス・キリストがこの世に来られ、十字架の上で全人類の罪を背負い、身代わりとなって刑罰を受け、死んで、墓に葬られ、死後三日目によみがえられたことが記されてあります。そしてこの福音(=良い知らせ)を信じる者は恐るべき死後のさばき、永遠の火の池の地獄から救われるのです。
これこそ、今この新聞をお読み下さったあなたへの何よりも重要な情報であるのです。聖書は神様のみことばであり、その内容は確かで誰にとっても重要な情報です。私たちは聖書から神の御子イエス・キリストを知ることができます。そして、このみことばを聞き、キリストを自分の救い主であると信じる者は救われるのです。どうか聖書を読み、神様からの大切なメッセージを受け取って下さい。
昔、中国の古代帝国である秦の始皇帝は不老不死の薬を求めて、家来を世界中捜して歩かせました。始皇帝は生まれつきあまり体が丈夫ではなく、中国を統一した頃から不老不死を求めて、方士という宗教家を傍に近づけるようになったといわれています。始皇帝は方士の中でも有名な徐福に東にあると言う蓬莱の国へ行き、仙人を連れてくるようにと命じました。この蓬莱は日本の事を指していると言われ、日本各地に徐福の最期の地といわれる場所がいくつもあるということです。
しかし、彼の願いは果たされること無く、かえって方士の作った不老不死の薬で体を悪くして死んだと言われています。人間にとって不老不死というのは誰でもが最も望むものでありながら、あの偉大な権力者、秦の始皇帝でもこれを得ることはできなかったのです
考えてみれば、どんなお金持ちであろうと、どんな権力者であろうと「命」や「老い」に関しては平等です。だれも好きで死ぬ者はいません。かえって全ての人は死を忌み嫌っており、死や苦しみの無い世界、永遠のいのちに憧れているのです。聖書に次のようなことばがあります。
「神はまた、人の心に永遠への思いを与えられた。」 ― 旧約聖書 伝道者の書 3章11節 ―
永遠のいのちを求めることは理にかなったことなのです。なぜなら、人間をお造りになった創り主の神様が人の心に永遠への思いを与えられたからです。このことはなにも秦の始皇帝だけが特別であったわけではありません。
今日、日本では一日に100人という実に多くの方々が自殺しているのだそうです。確かな希望を持つことができずにあらゆる重圧に耐え切れず自らの命を絶つということは大変悲しい現実です。しかし、私たち人間は永遠のいのちを得ることができると言う本当の希望を、どんな人生の困難があっても負けない希望を持つことができるのです。聖書には次のような人間に対する約束が記されてあります。
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」 ― 新約聖書 ヨハネの福音書3章16節 ―
天地の創造主であられるまことの神様が最初の人アダム、そしてその助け手としてエバをお造りになったときには人間に死はありませんでした。しかし、彼らは神が食べてはならないとお命じになったその木の実を食べてしまい罪を犯してしまいました。そのために人は死ぬようになったのです。聖書に次のように書かれてある通りです。
「ひとりの人の違反により、ひとりによって死が支配するようになった」 ― 新約聖書 ローマ人への手紙5章17節 ―
あなたの中には罪は無いでしょうか。聖書は次のように罪人を責めておられます。
「彼らは、あらゆる不義と悪とむさぼりと悪意とに満ちた者、ねたみと殺意と争いと欺きと悪だくみとでいっぱいになった者、陰口を言う者、そしる者、神を憎む者、人を人と思わぬ者、高ぶる者、大言壮語する者、悪事をたくらむ者、親に逆らう者、わきまえのない者、約束を破る者、情け知らずの者、慈愛のない者です。彼らは、そのようなことを行なえば、死罪に当たるという神の定めを知っていながら、それを行なっているだけでなく、それを行なう者に心から同意しているのです。」 ― 新約聖書 ローマ人への手紙1章29〜32節 ―
人は自分の罪のために滅びなくてはなりません。聖書に次のようにあります。
「罪から来る報酬は死です。」 ― 新約聖書 ローマ人への手紙6章23節 ―
さらに恐ろしいことに聖書には次のように記されています。
「人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている」 ─ 新約聖書 ヘブル人への手紙9章27節 ─
このように人は自分の罪のため死後に罪の刑罰を受けなくてはならなくなってしまったのです。その刑罰とは永遠の火の池である地獄での裁きです。
しかし、まことの神様は罪人を救うために御子イエス・キリストをこの世にお遣わしになられました。このお方は処女マリヤを通してこの世にお生まれ下さった罪無きまことの神であられました。この御子なる神であられるイエス・キリストはご自身が神であられることを証明するために2匹の魚と5つのパンで男だけで5000人もの空腹を満たしたり、死んで4日もたっていたラザロという青年を生き返らせるなど、人では到底できない多くの奇跡を行われました。
そして、イエス・キリストは、罪のゆえに滅ぶべき人間を救うために奇跡中の奇跡を行われました。すなわち、このお方はその生涯の終わりに全人類の罪をその身に背負い十字架にくぎづけにされてくださり、きよい父なる神様からの恐るべき刑罰を代わりに受け、死んでくださったのです。そして、死後3日目に死の力を打ち破って復活されました。ですから、誰でもこの十字架で死なれた神の御子を自分の代わりとなって死んでくださった救い主であると信じるものは地獄より救われ、永遠のいのちを得、死んでも天国に行くことができるのです。聖書には次のように記されています。
「もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。聖書はこう言っています。『彼に信頼する者は、失望させられることがない。』」 ─ 新約聖書 ローマ人への手紙10章9〜11節 ─
どうか、キリストを信じ永遠のいのちを得、失われることの無い真実な希望を持つ方となって下さいますように心からお勧めします。
今、日本は多くの会社が倒産し、あるいはリストラを行い、そのために、失業者も増え、自殺者も年間3万人を数える異常な事態といわれています。何かを失い、先を見る事ができない時、その苦しみはその人にしかわからないものです。
しかし、どのような中にあっても決して変わらないもの、たとえて言えば、暗闇の中でも決して消えないただひとつの光がありさえすれば私達の人生は明るく喜びに満ちたものとなるのではないでしょうか。
「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」 ― 新約聖書ヨハネの福音書8章12節 ―
この聖書のことばはイエス・キリストのことばですが実にこのお方こそ人となってこの世に来られたまことの神様であられるのです。そして、イエス様はこの世に光として、ただひとつの道をお示しになるために来て下さったのです。私たちはこのお方のことばに耳を傾けなくてはなりません。
神のことばである聖書には次のようにあります。
「すべての人が迷い出て、みな、ともに無益な者となった。」 ―新約聖書ローマ人への手紙3章12節―
自分を神とし、欲望のままに生き、罪の奴隷となってしまった人間は神から離れ、動物のような生き方しか、否動物以下の生き方しかできないものとなってしまいました。
「彼らが神を知ろうとしたがらないので、神は彼らを良くない思いに引き渡され、そのため彼らは、してはならないことをするようになりました。彼らは、あらゆる不義と悪とむさぼりと悪意とに満ちた者、ねたみと殺意と争いと欺きと悪だくみとでいっぱいになった者、陰口を言う者、そしる者、神を憎む者、人を人と思わぬ者、高ぶる者、大言壮語する者、悪事をたくらむ者、親に逆らう者、わきまえのない者、約束を破る者、情け知らずの者、慈愛のない者です。」 ―新約聖書ローマ人への手紙1章28〜32節―
あなたは、この神様のみことばに対してどうお答えになる事ができますか。わたしはあの人に、この人に比べてそんな悪い者ではない、せいぜい悪い事といっても交通違反をしてキップを切られる程度だ、と言うような甘い考え方は天地を創造された、主権者であられるまことの神様の前では通用しないのです。
「人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている。」 ―新約聖書ヘブル人への手紙9章27節―
聖書の中には、私達は死後、必ず裁きを受けなくてはならない事が書かれてあります。それは罪の裁きであり、人はその生きている間にした行いに応じて裁かれなくてはならないのです
「また私は、死んだ人々が、大きい者も、小さい者も御座の前に立っているのを見た。そして、数々の書物が開かれた。また、別の一つの書物も開かれたが、それは、いのちの書であった。死んだ人々は、これらの書物に書きしるされているところに従って、自分の行ないに応じてさばかれた。」 ―新約聖書黙示録20章12節―
もし人が一度地獄に投げ込まれたなら二度とそこから出る事はないのです。そこで永遠に苦しみ叫びつづけなくてはならないのです。聖書には地獄へ行ってしまった者がそこで叫んでいる姿が記されてあります。
「その金持ちは、ハデスで苦しみながら目を上げると、アブラハムが、はるかかなたに見えた。しかも、そのふところにラザロが見えた。彼は叫んで言った。『父アブラハムさま。私をあわれんでください。ラザロが指先を水に浸して私の舌を冷やすように、ラザロをよこしてください。私はこの炎の中で、苦しくてたまりません。』」 ―
新約聖書ルカの福音書16章23〜24節 ―
あなたはよく考えて下さい。あなたの内には罪がありませんか。もし、一つでもあるのなら、あなたは確実に今永遠の地獄に向かっているのです。死なない人間などどこにもいません。あなたが今、この世の楽しみをどれほど味わっているとしてもそれはすぐに過ぎ去ってしまいます。そして、あなたには必ず老いが訪れ、あるいは病に伏す時がやってくるのです。
「あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また「何の喜びもない。」と言う年月が近づく前に。」 ―旧約聖書伝道者の書12章1節 ―
あなたは今すぐ神なき人生が間違っている事を認め、神様のみもとに立ち返り、罪の赦しを得なくてはなりません。神様はあなたを地獄から救うためにその御子イエス・キリストをこの世にお遣わしになって下さいました。
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」 ―新約聖書ヨハネの福音書3章16節 ―
神の御子は十字架にかけられ全人類の罪を背負い、身代わりに刑罰をお受け下さいました。又、このお方は死んで墓に葬られましたが、死後三日目に死の力を打ち破って復活されました
このお方を信じる者は罪が赦され、信じたその瞬間に救われるのです。あなたが今信じるならあなたはいまや死後の永遠の地獄より救われて、死後に永遠の天国に行くものとされるのです。
「イエスは彼に言われた。『わたし(イエス・キリスト)が道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。』」 ―新約聖書ヨハネの福音書14章6節 ―
ぜひあなたも世の光であられ、救いの道であられるイエス・キリストを信じ救われて下さい。
「初めに、神が天と地を創造した。」
この言葉は聖書の一番最初の部分である旧約聖書の創世記1章1節にある聖句です。確かに天地の創造主であられる神様がおられるのです。
私たちが住み、暮らしているこの地球の赤道付近の自転速度は時速1,674キロメートルです。新幹線の速度を時速約200キロメートルとすれば、その8倍以上になります。公転速度は平均時速10万7,280キロメートル。飛行機の平均速度が時速1,000キロメートルですから、それよりも自転の速度は速く、公転は比べものにならないほどの速さなのです。そしてこの地球は何の狂いもなく太陽の周りを一年間で一回りするわけです。皆さんはこの地球が果たして偶然にできると思われますか。スペースシャトルでさえも人類が持つ最高水準の英知を注ぎ込んで建造しなければあのように飛ぶことができないのです。天地が偶然にできたなどと考えるのはとんでもない間違いです。
この天地の創造主なる神様があなたを創造してくださったのです。
あなたはある者達が言うように偶然の積み重ねで進化してできた、生きている意味を見出すことができないような生物ではありません。少し考えればわかることです。もし人間が偶然の積み重ねの産物であるならそんなものに生きる意味とか秩序とか道徳、倫理等というものはありえないのです。ですから、実際のところ無神論に基づく進化論に立つ教育者が人の命の大切さを教えることには無理があります。
神様は無意味にあなたにいのちをお与えになったのではありません。神様があなたを母の体内で創造され、生まれさせて下さったことには一つの目的があったのです。それは、あなたが神様の愛を知り、この神様の愛に応え、このお方に従い、感謝して生きるためなのです。
天地の創造主なるまことの神様は、恵みに満ち、人類を愛し大変すばらしいものを下さっています。人が空気を創ることができますか?水を創ることができますか?すでにこの世の中にある物質から科学者が合成して、いくらかは作ることができても決して無から創造することはできません。この世のあらゆる秩序は人が自分のために創造したものではないのです。第一自分の意志や力で生まれようと思って生まれてきた人間は誰一人いません。全ては天地の創造主から来ているのです。
あなたはあなたを愛する神様を認め、その愛に応えているでしょうか。しかし、残念ながらあなたは、おそらく次のような者ではないでしょうか。
「彼らが神を知ろうとしたがらないので、神は彼らを良くない思いに引き渡され、そのため彼らは、してはならないことをするようになりました。」 ―新約聖書 ローマ人への手紙1章28節―
あなたは人に言えないような、してはならないことをしたことはありませんか?あなたの心の中には良くない思いはありませんか?
人は神様の愛を裏切りこのお方から離れたために罪人となってしまったのです。そして、もしあなたが神様の愛から遠く離れ、罪の中を生き続けるなら、やがてあなたの人生が終わるときに大変な結末が待っているのです。
「人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている」 ―新約聖書 ヘブル人への手紙9章27節―
このように神様はあなたを愛するがゆえに警告して下さっています。天地の創造主なる神様は聖なるお方です。ただのひとつでも罪をお赦しになることはありません。罪は必ず裁かれなくてはならないのです。
死後のさばきとは恐るべき永遠の火の池の地獄なのです。
しかし、神様はあなたが地獄から救われるようにと、ご自身の愛を示して下さいました。
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」 ―新約聖書 ヨハネの福音書3章16節―
父なる神様はあなたを愛しそのひとり子イエス・キリスト様をこの世に遣わし、十字架に架け、あなたの代わりに罰して下さいました。それは、イエス様こそ自分の罪のために身代わりとなって十字架に死んで下さったまことの救い主であるとあなたが信じて救われるためであったのです。どうかこの尊い神様の愛を受け入れてください。
「だれが、いったい、何の役にも立たない神を造り、偶像を鋳たのだろうか。見よ。その信徒たちはみな、恥を見る。それを細工した者が人間にすぎないからだ。」 ― 聖 書 ―
この世の中には、本物と呼ばれる物と偽物と呼ばれる物があります。外国に住む知人が日本に来たときのことです。 彼女は、日本で電化製品や日本の産物を、母国に住む家族におみやげとして買って帰ろうとしたときのことです。 私は彼女と一緒に米ドル札を日本円に両替するために銀行に行きました。 ところが行員がしばらくして申し訳なさそうな表情をうかべながら戻ってきました。 実は、彼女が両替を頼んだ米ドル札は偽札だったのです。私は、その時の彼女のがく然とした表情を忘れることが出来ません。 彼女は、後生大事に、ただの紙切れを今の今まで大金だと思い込んで、わざわざ大事にふところにしまいこんで母国から持ってきたのです。 このように偽札は彼女の必要のときに、全く役に立たなかったのです。
皆さんは、偽札がなぜこの世に存在するのか考えたことがおありでしょうか。 それはどんなものでも買える貨幣価値のある本物の札があるからです。 当たり前のことですが、偽物が存在するためには価値がある本物の存在が前提となるのです。 皆さんは世界でもっとも流通している偽札は米ドルであることをご存知だと思います。 それは、世界のどこにいっても通用するからです。財政危機に瀕している国の偽札など誰も作りたいと思わないでしょう。 多くの時間と労力を費やしても得られるものがないからです。私は今、神様のご存在について皆さんに考えていただきたいのです。
「天を創造した方、すなわち神、地を形造り、これを仕上げた方、すなわちこれを堅く立てられた方、 これを形のないものに創造せず、人の住みかに、これを形造られた方、まことに、この主がこう仰せられる。 『わたしが主である。ほかにはいない。』」 ― 聖 書 ―
私たちは、自分の体の仕組みや天体の運行の法則を見るときに、
天と地の創造主であられるまことの神様がご存在される事を知ることが出来ます。
では、人間は自分たちを創ってくださったまことの神様をあがめて礼拝しているでしょうか。
聖書が次のように人間の姿を明らかにしています。
「彼らは、神を知っていながら、その神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、 その無知な心は暗くなったからです。彼らは、自分では知者であると言いながら、愚かな者となり、 不滅の神の御栄えを、滅ぶべき人間や、鳥、獣、はうもののかたちに似た物と代えてしまいました。」 ― 聖 書 ―
この世界に神々と呼ばれる物が、実に多くあります。
あるものは蛇のかたちをしており、あるものは狐などの獣のかたちをしており、
あるものは死んだ人間を祀り上げて神だの仏だのと言っています。しかし、それはすべて人間によって作られた作り物、つまり偽物なのです。
もう一度、偽札について考えていただけませんか。偽札が何のために作られたかを考えてください。
それは人を欺いて利益を得るためです。米ドル札であれ、日本の一万円札であれ、それを不正に作る者は、自分の利得のために、
不正を行っているのです。この例は、人間がなぜ、偽物の神々を作り出したのか、その理由を説明してはいないでしょうか。
人間は神様の憎む罪を行っているのです。私たちは、自分の人生を自分の所有として、自分の思うままに生きて行きたいのです。
それが罪の人生なので、聖くまた正しい神様がいてもらっては困るのです。
しかし、同時に神様にいてもらわないと、人間の力を超えた問題が起こるときに心細いので、偽物を作り出してしまったのです。
聖書は次のように宣言しています。
「不義をもって真理をはばんでいる人々のあらゆる不敬虔と不正に対して、神の怒りが天から啓示されている」 ― 聖 書 ―
真の神様は生きておられます。あなたの罪を憎んでおられ、あなたが死ぬときにその罪に対するさばきが執行されるのです。 その時に、偽の神々はあなたを救うことは出来ません。宗教は何の役にも立たないのです。聖書には次のようにあります。
「偶像を細工する者どもはみな、恥を見、みな共に、はずかしめを受け、恥の中に去る。」 ― 聖 書 ―
天地創造の主である神様の怒りを受けるとはどれほど恐ろしいことでしょうか。それは燃え続ける火の池、つまり地獄です。
真の神様だけがあなたを救うことが出来るのです。
「わたしのほかに神はいない。正義の神、救い主、わたしをおいてほかにはいない。 地の果てのすべての者よ。わたしを仰ぎ見て救われよ。わたしが神である。ほかにはいない。」 ― 聖 書 ―
と神様はあなたに語りかけてくださっています。
「神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。 ここに、神の愛が私たちに示されたのです。 私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。 ここに愛があるのです。」 ― 聖 書 ―
神様は、あなたを愛しておられるがゆえに、あなたがそのまま地獄に落ちていくのを見過ごすことが出来ないのです。
それで神様は、ご自分の愛する御子をこの世に遣わしてくださいました。
それがイエス・キリストです。
イエス・キリストは今から2000年前に、この世界に来てくださり、
すべての人間のあらゆる罪を背負って十字架において死んでくださったのです。また神様は、イエス・キリストを歴史上の事実として、
死後三日目によみがえらせ、このことによってキリストを信じる全て者に永遠の命が与えられることを証明してくださいました。
あなたも、偶像をすべて捨て去って、あなたを造ってくださり、あなたにいのちを与えてくださった真の神様に立ち返って下さい。
イエス・キリストこそが、唯一の救い主なのです。
どうかこの方を信じ受け入れて、天国に行く方となってくださいますように。
2001年9月11日にアメリカで起きた同時多発テロ事件や、
2005年7月7日にイギリスで起きたロンドン同時多発テロなど近年多くの人の命が奪われるような恐ろしい事件が立て続けに起こっています。
日本でも2005年4月25日に兵庫県を走るJR福知山線の列車が脱線事故を起こし多くの人々が命を落としました。
このようにこの世界においては不意に起きた事件や事故によって誰かが命を落とすようなことがしばしばあります。
そのような事件を知った時、皆さんはどう感じられるでしょうか。
このような時に多くの場合私たちの心の中に次のような疑問が湧き上がってくるのではないでしょうか。
「もし、善であり愛である神がいるのならどうしてあんな何の罪もない子どもやあんな良い人が死ななくてはならなかったのだろうか」と。
しかし、逆に次のように考える人もいるでしょう。
「あの人があんな目にあったのは日ごろの行いが悪かったからに違いない。何か特別な悪いことをしていたから神の審判が下ったのだ」
では、実際のところそのような恐るべき災難は果たして私たちに対して何を示しているのでしょうか?
聖書にその答えがあり、次のような事が記されています。
ちょうどそのとき、ある人たちがやって来て、イエスに報告した。
ピラトがガリラヤ人たちの血をガリラヤ人たちのささげるいけにえに混ぜたというのである。
イエスは彼らに答えて言われた。
「そのガリラヤ人たちがそのような災難を受けたから、ほかのどのガリラヤ人よりも罪深い人たちだったとでも思うのですか。
そうではない。わたしはあなたがたに言います。あなたがたも悔い改めないなら、みな同じように滅びます。
また、シロアムの塔が倒れ落ちて死んだあの十八人は、エルサレムに住んでいるだれよりも罪深い人たちだったとでも思うのですか。
そうではない。わたしはあなたがたに言います。
あなたがたも悔い改めないなら、みな同じように滅びます。」 ―ルカの福音書13章1〜5節―
この記述から紀元30年ごろ現在のイスラエル共和国の周辺でイエス・キリストが福音を宣べ伝えておられた頃に、
大変残虐な事件と恐ろしい事故があったことが分かります。
そこでイエス・キリストは事件について鋭くご指摘なさり、
ガリラヤ人たちが特別な罪人であったからそのような事件に巻き込まれたのではないと語られました。
さらに別の事故について同様に言及され、事故で死んだ者たちも特別な罪人であったからそうなったのではないとされました。
むしろ、そのような事件事故はかえってそのことを聞いた者たちに対する警告であることを明らかになさいました。
私たちは自分が神の御前に罪人であり滅びに向かっていることを知らなくてはなりません。
そして、今自分が死んだならきよいまことの神様に裁かれるということを恐れ、悔い改めて救いを求めなくてはならないのです。
聖書には次のような聖句があります。
「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず」 ― 新約聖書 ローマ人への手紙3章23節 ―
あなたの中には罪はないでしょうか。聖書は次のようにすべての人を責めています。
「彼らは、あらゆる不義と悪とむさぼりと悪意とに満ちた者、ねたみと殺意と争いと欺きと悪だくみとでいっぱいになった者、 陰口を言う者、そしる者、神を憎む者、人を人と思わぬ者、高ぶる者、大言壮語する者、悪事をたくらむ者、 親に逆らう者、わきまえのない者、約束を破る者、情け知らずの者、慈愛のない者です。 彼らは、そのようなことを行なえば、死罪に当たるという神の定めを知っていながら、それを行なっているだけでなく、 それを行なう者に心から同意しているのです。」 ― 新約聖書 ローマ人への手紙1章29〜32節 ―
人は自分の罪のために滅びなくてはなりません。聖書に次のようにあります。
「罪から来る報酬は死です。」 ― 新約聖書 ローマ人への手紙6章23節 ―
さらに恐ろしいことに聖書には次のように記されています。
「人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている」 ― 新約聖書 ヘブル人への手紙9章27節 ―
このようにすべての人は自分の罪のために死後に罪の刑罰を受けなくてはならなくなってしまったのです。
その刑罰とは永遠の火の池である地獄での裁きです。
この世界に多くの事件事故があっても誰もがその事実を知るわけではありません。
今日あなたが何か恐ろしい事件事故を知ったとするならば、それはあなたへの神様からの警告なのです。
神様はすべての人が悔い改めて救われることを願っておられます。
ですから、神ご自身が私たちを救うためにこの世に来てくださったのでした。聖書に次のようにあります。
「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた。」 ― 新約聖書 テモテへの手紙第一1章15節 ―
このお方は罪のゆえに滅ぶべき人間を救うために全人類の罪をその身に背負い十字架にくぎづけにされてくださり、 きよい父なる神様から恐るべき刑罰を代わりに受け、死んでくださったのです。そればかりではなく、死後3日目に死の力を打ち破って復活されました。 ですから、誰でもこの十字架で死なれた神の御子を自分の身代わりとなって死んでくださった救い主であると信じるものは地獄より救われ、 永遠のいのちを得、死んでも天国に行くことができるのです。聖書には次のように記されています。
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。 それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」 ― 新約聖書 ヨハネの福音書3章16節 ―
どうか、神様からの警告を受け入れキリストを信じ恐るべきさばきから救われて、天国に行く方となってください。