ふくいん26号 -2005.11-
本当のクリスマス

皆さんはクリスマスをどのように過ごされますか?
クリスマス?忘年会?
12月に入りますと、子どもたちのために、あちらこちらでクリスマス会が行われます。子どもたちは、今年はどんなプレゼントがもらえるだろうと、クリスマスの時期を大変に楽しみにしています。ところが、会社勤めをしている大人には、年末に忘年会があるので、子供にとってクリスマスとは、大人の忘年会のようなものだろうとしか考えていません。
多くの大人はクリスマスの時期は、忘年会と称して酒を飲んでこの1年を忘れようとしています。しかし、この事実は、人々にとって人生とは忘れてしまいたいほど、いやな事や苦しい事が多くあるということを示しているのではないでしょうか。
原因
では、なぜ本当は大切なはずの人生を忘れなくてはならないような望みのない生き方しかできないのでしょうか?それは、すべてのいのちの源泉であられるお方、つまり神様を無視しているからなのです。実に天地を創造されたお方であられるまことの神様だけが人を恵み、豊かにし、希望にあふれた人生を歩むようにすることが出来るのです。
多くの人々が、この世界は、自然にできたとか勝手に発生したとかと言って、神様を無視して生きていますが、天と地の全てをお造りくださったまことの神様から離れ、神様に背を向けて生きることは、あらゆる誤りの中で最も大きな誤りです。そしてそれが人を不幸にしているのです。聖書には次のように書かれています。
私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。
旧約聖書イザヤ書53章6節
すべての人が迷い出て、みな、ともに無益な者となった。
ローマ人への手紙3章6節
人間の限界
聖書には次のようなみことばがあります。
愚か者は心の中で、「神はいない。」と言っている。彼らは腐っており、忌まわしい事を行なっている。善を行なう者はいない。
詩篇14篇1節
そのように愚かな人はよく「神がいるなら見せてくれ」と言います。しかし、私たち人間の物事を知る能力などは自分が考えているほど優れたものではないことを認めなくてはなりません。
私たちは、この広大な宇宙を考えるときに、非常に小さな存在です。太陽の光はおおよそ8分20秒ほどで地球に到達します。しかし、太陽まで歩いていくと、休みなく歩いたとしても17000年以上かかってしまいます。100才まで歩いたとしても、太陽までの100分の1も歩けないのです。しかし、光はその距離を8分20秒で到達します。しかし、宇宙には、その光のスピードで何億年、いや何十億年のさきにも多くの星があるのです。
人類の文明は、確かに発展してきましたが、実に私達が見ることの出来るもの、聞くことの出来る音、触ることの出来るもの、つまり私たちが知っている事柄は、本当にわずかなのです。
ましてや、永遠から永遠にご存在される神の無限にすばらしいご性質について、人間が知ることが出来ないのは当然のことです。
キリストは神を明らかにされた
神の御子は、無限の神様を知ることが出来ない人間のために、有限な姿をとって、みずからこの世界に来てくださったのです。それが乙女マリヤを通して人としてお生まれになったイエス・キリスト様です。イエス・キリスト様は、その語られたことばによって、またその行動によって、神がいかにすばらしい方であるかを、私たちの目に見える形で、聞こえる声でお示しくださったのです。イエス・キリスト様は、神様の義と聖さ、また愛と恵みをしめしてくださいました。
いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとり子の神が、神を説き明かされたのである。
新約聖書ヨハネの福音書1章18節
と書かれてあるとおりです。
キリストは罪とさばきを明らかにされた
そして、この神様を認めないことが重大な誤りであり、全ての人が真の神様から迷い出て、罪を犯していることを示してくださいました。
また、イエス様は、全ての人は罪を悔い改め、真の神様に立ち帰るべきであることを教えてくださいました。
さらに、イエス・キリスト様は、人間の死後には永遠のさばき(地獄)があることを明らかにしてくださいました。私たち人間は全て、いつかは死にます。その死後に、私たちが犯した罪の刑罰があるのです。しかし、私たちをこの地獄における罪の刑罰から救うために、なんと神の御子イエス・キリスト様は、自ら十字架にかかり、私たちの罪をその身に負われ、罪の刑罰をご自分の身に受けてくださいました。イエス様は私たちの身代わりとなって、私たちの罪のために十字架の上で苦しみ死んでくださったのです。
キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。・・・
新約聖書ペテロの手紙第1 2章22節、24節
そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。
キリストはいのちと希望を明らかにされた
イエス・キリスト様は、十字架の上で死なれ、それで終わってしまったのではありません。イエス・キリスト様は、死んでから三日目に、復活されました。永遠に死の力を滅ぼし、不死と不滅を明らかにしてくださいました。イエス・キリスト様は、復活された後、40日間に渡って、たびたび弟子たちの目の前に現われ、ご自分の手足を示され、生きておられることを明らかにされ、40日目にオリーブ山の上から、多くの弟子たちの前で、よみがえられたからだを持ったまま天の御国に帰られました。
神はこのイエスをよみがえらせました。私たちはみな、そのことの証人です。
新約聖書使徒の働き2章32節
と弟子たちが証言しています。
このようにして、イエス・キリスト様は、ご自分が真の救い主であることを示してくださいました。
この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人に与えられていないからです。
新約聖書使徒の働き4章12節
ですから、皆さまにも、ぜひイエス様を信じていただきたいのです。イエス様を、自分のキリストとして信じる者はだれでも、神からの賜物つまりプレゼントとして永遠のいのちを受け、決して滅びることなく、天国において永遠に生きる道が開かれるのです。
さて、非常に重要なことですが、今まで記してきたことはクリスマスを彩るための神話でもなく、作り話でもありません。これは実際に神様によって実行された事実なのです。イエス・キリスト様は、ご自分に救いを求めて来る者を全て救ってくださいます。皆さまも、ぜひ教会にお越し下さい。またこのすばらしい救いをお受けになってください。
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
新約聖書ヨハネの福音書3章16節


