ふくいん21号 -2004.4-

人の目にはまっすぐに見える道がある。
その道の終わりは死の道である。
笑うときにも心は痛み、
終わりには喜びが悲しみとなる。

鳥インフルエンザの流行

やっと春になって、このウィルスの猛威から解放されたようです。しかし、実際は私たちが普段意識しないだけで、世間にはこれら以外にも無数のウィルスがウジャウジャと存在しているのです。しかしなぜ、これらのウィルスが特に恐れられているのでしょうか。それは、それらのウィルスが私たちに死ぬ危険を与えるからです。つまり、人々はみな死を恐れているということです。
しかし、人間に死をもたらすものは、他にも多く存在し、しかも私たちには死を避けることが不可能なのです。そして、その死は私たちに恐怖を与えているのです。
では、なぜ死が人に恐怖を与えるのでしょうか。このことについて、皆さまもぜひ考えてみてください。なぜならば、あなたもやがて死ぬからです。あなたも死を避けることができないのです。

鳥インフルエンザ世界流行

「人から人への感染が始まれば、新型肺炎SARSよりも深刻」―WHO(世界保健機関)西太平洋地域事務局の報道官は、そう言い切った。
ー「まさに開戦前夜です」ー厳しい表情でそう語るのは、元WHOインフルエンザ呼吸器ウイルス協力センター長の根路銘国昭氏である。「開戦」とはなんとも物々しいもの言いだが、山口県阿東町の採卵鶏農場で発生したのをはじめアジア各地で暴れ回る鳥インフルエンザが変異を遂げて、新型インフルエンザウイルスが暴発、我々の生命を脅かす恐れがあるというのだ。さらに、根路銘氏は「人から人への感染力と強い毒性を兼ね備えた新型ウイルスが登場するための、あらゆる条件が整いつつある」と警告する。
私たちの周りにはこのような恐るべきウィルスで満ち溢れているのだ。

H5N1ウィルス
香港、ベトナムで多くの死者を出している

死の恐怖からの解放

ほとんどの人は、何か拝むものを持っています。つまり、ほとんどの人は、人間は何かを拝むべきであるということに同意していることを示しています。
しかし、私たちは、何でもかんでも、拝んではならないのです。自動販売機でも正しい札を入れずに、偽札を入れてジュースを得たならば、窃盗罪になります。それと同様に、金が欲しい、あるいは病気を治して欲しいという人間の要求に答えてくれるものならば、何でも拝むということは、非常に大きな誤りであるのです。なぜならば、悪魔でもそのような人間の要求に応えることができるように見せ掛けて、人間を騙すことができるからです。
まことの神ならば、人間にとっての最大の問題である、また最大の恐怖の原因である死という問題を解決することができるはずです。

まことの神

さて、空を見てください。夜には多くの星が光り、昼には太陽が輝いています。野には緑の木々があり、草が花を咲かせ、鳥は空を飛び、動物が生きています。これらをお造りになった神様が存在されることをご存じでしょうか。これら全ては、神なしに、偶然にできたものではありません。偶然では、割り箸一本でもできません。まして、木の葉一枚でもできません。全ての植物、動物は、全てを創造された神の存在を証明しています。

恐怖の原因

ここで、もう一度、なぜ人が死を恐れるのかを考えてみましょう。その恐怖の理由は、「死後には何かがある。何か悪いことがある。」という予感が皆にあるからです。すなわち、全ての人は、無意識のうちに、神の存在を知っているのです。そして、自分がその神に対して正しい関係を持っていないことを意識しているので、自分がその神の前に立つことができないことを認めているのです。確かにその予感は正しいのです。私たちの良心は、私たちが神の前に決して正しい者ではないことを認めています。その良心の声は正しいのです。
聖書はこのことについて何と言っているでしょうか。

すべての人は、罪を犯した

新約聖書ローマ人への手紙3章23節

義人はいない。ひとりもいない。 悟りのある人はいない。神を求める人はいない。

新約聖書ローマ人への手紙3章10節

人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている。

新約聖書ヘブル人への手紙9章27節

そうです。私たちは神の前に罪人です。神は義であり、聖であられます。神は罪をさばかれます。ですから、神に対し敵対したまま死ぬ人は、全て地獄において、永遠に罪のさばきを受けなければならないのです。これは非常に恐ろしいことです。ですから私たちは、死が恐ろしいのです。

ほんとうの救い

しかし、まことの神は、私たちを愛しておられるので、私たちのために、この地獄に行かずに、永遠の神の国に入る道を備えてくださいました。
今から、一九七四年前、ユダヤの国の首都、エルサレムの郊外のゴルゴタ丘の上で、十字架が立てられました。その十字架の上に、イエスという人が釘付けにされたのです。
この人が、何か重罪を犯したからでしょうか。そうではないのです。ご自分がまことの神の御子であると宣言されたからです。それまでにイエス・キリストは多くの病人をいやし、死人さえ生きかえらせてご自分が神から遣わされた神の御子であることを証しされたのです。ところが、神を信じたくない者たちはこの主イエスを十字架に付け、あざけり、嘲笑したのです。
しかし、十字架に付けられて死ぬことこそ、イエス・キリストがこの世に来られた目的であったのです。十字架の上で主イエス・キリストは私たちの罪を全て御身に負い、私たちの身代わりとなって、罪のさばきを受けてくださったのです。そして、罪人のための救いの業を成し遂げて、死後三日目に、永遠に死の力を打ち破って、復活されたのです。
このことによって、イエス・キリストこそ、まことの神が私たちのために遣わされた真実な救い主であられ、この救い主を信じる者に神が罪の赦しを与え、永遠に神の国で生きることを許してくださることが明らかにされたのです。神は全人類に次のように宣言されています。

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

新約聖書ヨハネの福音書3章16節

ここに、私たちのために、罪が赦され、死の恐怖から解放され、永遠に生きる喜びをもって生きる、そしてただ単に地上を喜びと平安をもって生きるだけではなく、死後神の国に入り、永遠に生きる道が備えられているのです。
この救いを得るためには金も、難行苦行も、また何の資格も不要です。必要なものは、自分の罪を心から認め、まことの神に立ち返り、真心から主イエス・キリストを自分の救い主として信じ受け入れる信仰のみです。皆様の前に、真の救いが、天国への門が開かれているのです。そして、神は皆さまを愛の御手をもって招いておられます。どうか神の招きに答えてください。

そのとき私は、御座から出る大きな声がこう言うのを聞いた。「見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また、神ご自身が彼らとともにおられて、
彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」
すると、御座に着いておられる方が言われた。「見よ。わたしは、すべてを新しくする。」また言われた。「書きしるせ。これらのことばは、信ずべきものであり、真実である。」 

新約聖書 黙示録21章3〜5節