ふくいん17号 -2002.11-

“クリスマスの本当の意味をご存知ですか?”

「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた。」 

― 聖 書 ―

あなたは、今年どんなクリスマスプレゼントが欲しいですか?

 クリスマスといえばあなたは何を思い浮かべるでしょうか?ケーキ、ツリー、プレゼント・・・。あなたが一番ほしいプレゼントは何ですか?

 クリスマスといえば、皆さまは何を連想されますか。いろいろなことを連想されるでしょうが、その中にクリスマスプレゼントも必ず入ってくるのではないでしょうか。皆さまも一度や二度はプレゼントをあげたりもらったりした経験がおありだと思います。そのときに、欲しかった物ではなかったけれども、もらって非常に良かったということはないでしょうか。私たちは案外と自分に必要な物を知らなかったりするものです。

 さて、皆さまが、今一番欲しいプレゼントは何でしょうか。「私はおいしいケーキが食べたい。」「やっぱり手編みのマフラーだ。」「いや宝石がいい。」「またある人などは「いや私はもっと切実だ。仕事が欲しい。」とか「健康が一番。」「なんたって金だ。金があればどんなものでも買えるのだから。」などいろいろ欲しいものをもっていらっしゃることでしょう。しかし皆さまが今一番欲しいものが、皆さんにとって一番必要なものであるとはかぎりません。

あなたに必要なプレゼントは、永遠のいのちです。

医者が患者に、今どんな薬が必要であるかを最も知っているように、また母親が赤ん坊に何が必要かを良く知っているように、天と地をお造りになったまことの神様は皆さんに何が一番必要かを知っておられます。聖書を通して、神様は皆さんに、救いが必要であると語っておられます。なぜなら、私たちの生涯の終わりには死があるからです。
「そんな暗いことを考えても仕方がないではないか。もっと明るく、楽しく生きよう。夢を持って、前向きに生きよう。」とある人々は言います。その考えにどのように賛成し、それをどのように肯定しても、私たちの人生の終わりには死があることに変わりはありません。人は必ず死ななければなりません。
「死んだ先のことなどは、どうでもいいではないか。今さえ楽しければ良いのだ。人間には今しかないのだ。死について考えたら生きて行けなくなる。死ぬことなど考えたくない。」と言う人もあります。実際、これが多くの人々の本音ではないでしょうか。
人々は死について考えたくないようです。それは人間にとって、死は不吉なことであり、忌むべき事であり、全ての望みの終わりであり、永遠の悲しみだから考えると不安になるのです。だから人々は死について考えたくないのです。死から目を背け、自分が死ぬことを何とかして認めないで済まそうと努力しているのです。しかし私たちがどのように努力しても死は消えません。

ご自分の死について考えてください!

そこで私たちは皆さまに、自分の人生について真剣に考えていただきたいのです。私たち人間はただ今だけを考えて面白くおかしく生きることができれば良いというのではないのです。そのような人生には希望はなく、それは目先の快楽を追い求める、享楽に操られた惨めな人生です。これは間違った人生です。しかもその先に死があり、死の先に永遠があるのです。
私たちに必要なことは、天と地を創造された神がご存在され、私たち人間もこの神様によって造られたことを知ることです。人間は決して地球の上に自然に、偶然に発生したのではありません。人間のようなすばらしい存在が、神様の知恵と力によらないで勝手に発生することは決してありえないからです。
世界を創造し、人間をお造りになった神様を無視し、この神様を神と認めないことが、人間の最も大きな罪です。そして、人がこの罪を犯したまま、つまり神様に対して罪を悔い改めないで死んだならば、その人は必ずその罪のさばきを受けなければなりません。それは非常に恐ろしいことです。なぜならば、その人は、死後、永遠に罪のさばきを受けなければならないからです。
聖書は次のように警告しています。

人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている。

新約聖書ヘブル9章27節

地獄は存在します!

ここで私たちは皆さまにもう一度ご自分の人生のゴールについて考え直してくださいとお願いしたいのです。
「死んだ先のことなどはどうでも良いのだ。今が肝心なのだ。今、楽しければいい。」という考えが大間違いであることを認めていただきたいのです。それは悪魔のだまし事です。悪魔は、多くの人をだまし永遠の地獄へと落とし込んできたのです。
「今さえ楽しければいい。」と言っても、人々は確実に死に向かって日々を過ごしており、その人生の道の終わりには死があるのです。そして死の向こうには、罪に対する永遠のさばきがあるのです。
「それは、脅かしだ。人を恐ろしがらせて宗教に引き入れようとする悪い手段だ。」という人もあります。果たしてそうでしょうか?それは、言い換えれば「神などは存在しないのだ。人間は自然に、偶然に発生したのだ。だから人間の人生に希望などはないのだ。今の快楽を追いかけて生きる以外に生き方はないのだ。人は死んだら灰になるだけだ。どんな悪事を行なっても、死後に地獄でさばかれるようなことはないのだ。」となります。もし皆さまもこれと同じ考えを持ってらっしゃるのならばお尋ね致します。そのような考えが正しいという根拠は何でしょうか?根拠は全くないのではありませんか。
そのような考えによってどれ程多くの人が堕落し、人生を無駄にし、自分自身を破滅に陥れてきたことでしょうか。しかも非常に多くの人々がこのような考えに影響されているのです。このような考えが家庭不和、子どもの非行、社会の混乱、今社会を苦しめている不況の原因であるバブル経済を引き起こしたのです。
神はこのような考えを、そしてその考えに基づく行動を罪と呼んでおられます。そしてその罪の根本は、創造主である神に対する反抗心であり、敵対心です。
神はこの罪を憎んでおられます。真の神は聖であり、義なる方です。ですから神は、必ず罪を罰されるのです。そして、罪を悔い改めず、神に罪の赦しを求めることなく死んだ人は、必ず死後、罪のさばきを受けなければならないのです。その罪のさばきを受ける場所を、聖書はゲヘナと呼んでおり、それは永遠にさばきの火の燃える苦しみの場であり、絶望の場です。

救いの道

しかし、私たちは皆さまに、この真の神が私たちのために備えてくださった唯一の真の救いの道があることを知っていただきたいのです。
神はご自分の御子であるイエス・キリストをこの世界に遣わしてくださいました。神の御子イエス・キリストは御父のご計画に従って十字架の上ではりつけにされて下さいました。その十字架の上で、イエス・キリストは私たちのすべての罪を負い、私たちの身代わりとなってその罪の刑罰を受けて下さったのです。それは、罪を悔い改めて神に立ち返り救いを求める者がすべて、このイエス・キリストによって、無代価で救われ、永遠のいのちを得るためです。
私たちの身代わりとなって死んで下さったイエス・キリストは、死後、三日目に死の力を打ち破って復活されました。主イエス・キリストは復活の後、四十日間、五百人以上の証人たちの前に現われ、ご自分が生きておられることをお示しになり、オリーブ山の上から、その復活されたからだをもって天の御国に帰られました。そして今も主イエスは私たちを救うために働いておられるのです。
ですからイエス・キリストを救い主として信じ心の中に主として受け入れる人は罪が赦され、永遠のいのちを与えられ、神の御国すなわち天国において永遠に生きることができるのです。
この救いこそ皆さまが、今、必要としておられる神様からのすばらしい愛に満ちたプレゼントなのです。この神様からの愛のプレゼントを受け入れて下さい。

罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。

新約聖書ローマ6章23節