ふくいん15号 -2002.4-

イエス・キリストによって救われたバットナサン青年
これは脳性まひのために望みなく生きていたモンゴル人の青年がイエス・キリストを信じる信仰によって本当の希望を持つにいたった真実の物語です。
バットナサンは現在25歳の青年です。彼が3歳の時、医者のミスで、注射の針からバイ菌が入り、脳炎を起こしてしまいました。それが原因となって運動神経が麻痺してしまったのです。その結果、彼の手足は彼の意志に反して勝手に動き、頭も前後左右に常に動くようになりました。顔の筋肉もほとんどじっとしていないので、正しく発声もできません。そして彼は毎日を床の上で転げ回って過ごすしかできない状態になってしまいました。
さて、私たちの教会は、モンゴル国の共産党独裁が崩れ、民主化されたニュースを聞き、さっそく長い間の共産主義から解放されたモンゴルの人々にもイエス・キリストの福音を宣べ伝える道はないかと調べました。その結果として一人の宣教師が送り出されることになりました。
私がバットナサン青年に初めて会ったのは10年前のことで、彼は15歳でした。彼の母親のヤンジマーさんがイエス・キリストについての話を聞きたいということで、私は通訳とともに彼女の家を訪ねました。日本人がイエス・キリストの話をしに来るというので、同じアパートの住民も何人かヤンジマーさんの家に来ていました。
ヤンジマーさんと会い話をしてみると、実のところ、彼女は息子に話を聞かせたかったのでした。彼女が部屋に連れて来たバットナサンを初めて見た時、私は息を飲みました。手足を縛られ(もちろん彼自身の要望で)母親に抱きかかえられた彼は、必死で私に初対面の挨拶をしていました。
彼の母親は何とかして息子を治療する方法はないかと多くの医者にかかり、モンゴルの民間療法にも頼り、まじないにも行き、手を尽くしたのですが、治療の方法はありませんでした。最後は失敗した医者を恨み、それを運命と思ってあきらめる他ありませんでした。そして運命とあきらめようと思ってもあきらめきれず、心の苦しみで、また息子の看病と治療代を稼ぐため無理をして働いたために健康を害したヤンジマーさん本人もその苦しみと絶望から逃れる道は親子心中しかないと考えるようになっていました。バットナサン自身も希望のない日々の悲しみと苦しみから死を考えていたのです。
そこで私はこのバットナサン青年一人のためにも、高い費用をかけてモンゴルに来た甲斐があったと思い、神が私たちをそこに遣わされたことを確信しながら集まっていた人々に向かって話し始めました。
「あなた方は今まで長い間、神は存在しない、だから神を信じてはならないと教えられてきたのではありませんか。そして共産主義こそ最高であると教えられてきたのではないですか。それでは、神の存在を認めない、無神論というその最高の教えでこの青年に生きる希望と意味を与えて見てください。」
「できません。」と彼らは首を振りながら答えました。
「もしその教えがこの青年に生きる希望と意味を与えることができないならば、あなた方も不慮の事故で重度の障害者になることもあり得るのですから、あなた方にとってもその教えは無益です。今から私が伝える良きおとずれは、彼を本当の喜びと希望で満たすことができます。彼のためにそれができるならば、あなた方のためにも出来るはずです。」
「あなた方は金と健康があれば幸せになれると思っています。ですが、金を得て、健康であって幸福をつかんだと思っても一時的です。非常に短い人生の後に、人は死ななければならなりません。神など存在せず、死後に罪の刑罰もないから、死後のことなどは考える必要はない。生きている間に何でもしたいことをやればよいとあなた方は考えているかもしれませんが、神のみことばである聖書は(その頃モンゴル語の聖書がありませんでした。ですから私が手にしていたのは日本語の聖書です。8年間の努力の末、モンゴル人の協力を得て私たちの教会が遣わした日本人宣教師の手によってモンゴル語聖書の翻訳が完成されました。)明瞭に人の死後には罪の刑罰があると、すなわち地獄があると宣言しています。そして全人類が罪を犯し、それぞれが自分勝手な道に向かって行ってしまったと神は語っておられます。
全宇宙の創造主である本当の神は、罪を必ずお裁きになります。罪を犯した者は必ず死後にさばかれます。
真の神は、全ての人に、神の存在を認めないという不敬虔の罪を悔い改め、神に立ち返るように命じておられます。そして神は、今から約二千年前、ご自分のひとり子であるイエス・キリストをこの世界に遣わされ、このご自分の御子が罪人の手によって十字架の上に付けられることを許されたのです。それは十字架に付けられた御子イエスに私たちの全ての罪を負わせ、私たちの身代わりとして罪に対する神の怒りと呪いを受けさせるためでした。イエス・キリストは私たちを、死後の永遠の地獄から救うために、私たちの身代わりとなって死んでくださいました。それほどまでに神は私たちを愛しておられます。イエス・キリストは私たちを愛して、私たちの魂を永遠の地獄から救うために十字架にかかられたのです。
神は十字架の上で死なれた御子を、死後三日目によみがえらせ、イエス・キリストこそ、唯一の真の救い主であることと、御子を信じる者に罪の赦しを与え、神の御国で永遠に生きるいのちを与えてくださることとを証ししてくださったのです。ですからイエス・キリスト以外に、私たちを地獄から救うことの出来る救い主はありません。
イエス・キリストを救い主として信じ、心の中に神、主として受け入れる者は永遠に生きるのです。そして神によって愛されている神の子どもとされた喜びを持って、この地上でも永遠の神の国を目指し希望を持って生きることができます。皆さま、イエス・キリストは皆さま方の救い主です。この、真の救い主を信じて救われてください。」
ここで私のメッセージは終わりました。
現在のバットナサンは、教会に(連れて来られて)出席し、神様を礼拝することが一番大きな喜びとなっています。彼の両親も主イエス・キリストを信じ、神様が病気を用いてバットナサンを主イエス・キリストを信じるように導いてくださったことを感謝しています。そればかりか彼がイエス・キリストを信じて大きな喜びを得ている姿を見て、多くの人々がイエス・キリストを信じるように導かれたことをも毎日神に感謝しています。
さて、ここで私は皆さまにもお尋ねしたいのです。あなたは本当の幸せを持っておられるでしょうか。財産が失われて一文無しになっても、たとえ健康がそこなわれて障害を持って暮らさざるをえなくなっても、失われることのない確かな希望を持っていらっしゃるでしょうか。多くの人は間に合わせの偽物の幸せを本物だと思っています。多少なりとも金を持っていることが幸せ、健康であることがすべての土台だと考えているのです。しかし、財産そのものが幸せではありません。健康そのものが希望ではありません。
多くの人はこの点で勘違いをしています。人はそれぞれ欲望を持っています。人よりも大きな家に住みたい。皆から褒められるような綺麗な服を着たい。豪華な食事をしたい。旅行をして綺麗な景色をみたい。贅沢をしたいなどです。多くの人はそれを上品に希望とか幸せと呼びかえています。そういった種類の幸せを得るためには、金がいる、健康がいるのです。「人を欺く情欲」と聖書にあります。またイエス様ご自身が語られました。「どんな貪欲にも注意して、よく警戒しなさい。なぜなら、いくら豊かな人でも、その人のいのちは財産にあるのではないからです。」繰り返しますが、私たちの欲望を満たすことが真の幸せではありません。私たちがそれらを追求すればするほど、死と永遠の問題から目がそれてしまうのです。
本当の幸せとは、神の子どもとされて永遠のいのちを持つことです。そして死後の地獄の恐怖から解放されて天国に行くことが出きるという望みを持つことです。これは絵空事ではありません。作り事に力はありません。十字架にかかりよみがえられたイエス様は、天に帰られ今も、事実生きていらっしゃるのです。だから人間的な目では絶望のモンゴルの一青年に今も希望を与えることが出きているのです。
皆さまも、金や健康があれば幸せだ、少なくとも幸せの土台だという間違った考えにだまされないで下さい。金も健康も必ず役に立たなくなるときが来るのです。イエス・キリストをご自分の救い主としてお信じになってください。イエス・キリストはあなたの罪のために十字架でさばきを受け、死なれ、よみがえられた本当の救い主です。どうかあなたがこの救いを受けられますように。
神は、ご自分の大きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせて、生ける望みを持つようにしてくださいました。
ペテロの手紙第一 1章3節


