ふくいん14号 -2001.11-

今の世をいかに生きるか
今私たちは、かつてなかったような事態に直面しています。そしてその解決の方法はないのだろうかと多くの人々が模索していますが、なかなか見つかりそうにありません。そればかりかますます混迷を深めてゆくように見えます。このような今の世にあって私たちはいかに生きるべきなのでしょうか?
現在、多くの会社が倒産し、あるいはリストラを行い、商店は閉鎖しています。そのために失業者が増え、自殺者も年間三万人を数える異常な事態だと言えます。また世界を見るとテロがあり、そのテロに対する報復攻撃があり、またその報復の細菌攻撃があり、その一方で、世界では餓死する者が年間数万人いると言われています。その上、社会には強盗、殺人などの凶悪犯罪が増加しています。今私たちは、かつてなかったような事態に直面しています。そしてその解決の方法はないのだろうかと多くの人々が模索していますが、なかなか見つかりそうにありません。そればかりかますます混迷を深めてゆくように見えます。その解決策として政治的解決方法、軍事的解決方法、経済的解決方法等とがあるでしょうが、今この紙面で取り上げたい主題は私たち個人がこのような事態の中をいかに生きるべきかということです。
こんな時、私たちが大体考えることは、「政治家よ。何とかせよ。何とかならないのか。」ということです。その次に、事態が悪化してくると、「もう待てない。自分たちで何とかしよう。」と考え、さらに進むと「もう生きるのに疲れた。生きることを止めよう。」と考えたりする人も出てきたりします。この時私たちクリスチャンが、「神を信じなさい。本当の生きておられる神を信じなさい。」と言うと、「神を信じたら米が天から降ってくるのか?神が食わせてくれるのか?神を信じて何の役に立つのか?」と言われる方々が非常に多いのです。
さて、このような考えは、「神なんて存在しないのだ。」という無神論から出ています。そして多くの方々が真の神の御存在を知らないのです。また神が存在しないと思い込んで生きておられるのです。それが間違いだとお考えになりませんか?
主イエス・キリストは次のように言われました。
「だから、わたしはあなたがたに言います。いのちのことで何を食べようかと心配したり、からだのことで何を着ようかと心配したりするのはやめなさい。いのちは食べ物よりたいせつであり、からだは着物よりたいせつだからです。烏のことを考えてみなさい。蒔きもせず、刈り入れもせず、納屋も倉もありません。けれども、神が彼らを養っていてくださいます。あなたがたは、鳥よりも、はるかにすぐれたものです。あなたがたのうちのだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。こんな小さなことさえできないで、なぜほかのことまで心配するのですか。ゆりの花のことを考えてみなさい。どうして育つのか。紡ぎもせず、織りもしないのです。しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。しかし、きょうは野にあって、あすは炉に投げ込まれる草をさえ、神はこのように装ってくださるのです。ましてあなたがたには、どんなによくしてくださることでしょう。ああ、信仰の薄い人たち。何を食べたらよいか、何を飲んだらよいか、と捜し求めることをやめ、気をもむことをやめなさい。これらはみな、この世の異邦人たちが切に求めているものです。しかし、あなたがたの父は、それがあなたがたにも必要であることを知っておられます。何はともあれ、あなたがたは、神の国を求めなさい。そうすれば、これらの物は、それに加えて与えられます。小さな群れよ。恐れることはありません。あなたがたの父である神は、喜んであなたがたに御国をお与えになるからです。」
ルカの福音書 12章22節〜32節
皆様はこの言葉を読んでどのようにお考えですか?「こんなことを信じていられるか。神がいるなら今、目の前に見せてくれ。これはまともな人間の言葉ではない。」等と言う人があります。そうです、天と地を創造された生ける神を知らない人はそう言うのです。
だが、お考えください。これはかつてこの地上を歩まれ、十字架の上に釘付けにされて殺されたけれど、この二千年近く世界中で信じられ、崇められ、愛され、尊敬され、畏れ敬われてきたイエス・キリストの言葉なのです。これが、ただ普通の人の言葉であれば一笑に付してもよいでしょう。
ここで皆様が、このような言葉を語られたイエス・キリストとは誰なのか、とお考えになってください。もしイエス・キリストが、ただの人間であったならば、彼はこんなことを言ったとんでもない空想家、人をペテンに懸けた宗教家と断定しても良いでしょう。しかし、世界中の何処へ行っても、普通に物事を考える人の中にイエス・キリストがペテン師であったと言う人はありません。そればかりかイエス・キリストを知り、イエス・キリストのみことばを読み、大きな励ましを得、力づけられ、望みを得た人々が大勢いるのです。では、イエス・キリストとはどのようなお方なのでしょうか。実にイエス・キリストは、神の御子であられ、天と地を創造された創造主であられ、人の姿をとってこの世に来てくださった御子なる神であられるのです。
その人となられた神が、私たちに、「神である私を信頼しなさい。私はあなたを助け、救いたいのです。なぜならば私はあなたを愛しているからです。」と語りかけてくださっておられるのです。このように真の神はあなたを愛し、あなたの魂を救いたいと求めておられるのです。
それなのに、あなたは今まで、この天と地を創造された真の神を神として崇めず、かえって神に背を向け、神を信じることをせず、神なき人生を生きてこられました。その結果が不安であり、また自分の欲を満たすために生きること以外に目的のない生活なのです。そのような生き方はバブルの時代には目立ちません。皆が浮かれていたからです。しかし今のような時代になると、真の神を知らない、神を無視している人生の悲しみ、欠陥、悲哀が非常にはっきりさせられるのです。
では、何があなたを今まで、神を信じることを妨げて来たのでしょうか。それは罪なのです。罪とは、聖であり義である神に対する反抗心のことであり、自分の欲を満たすことを目的に生きるために、自分を自分の神とすることです。この罪が不安、不満、孤独の原因であるばかりか、破滅と堕落を引き起こします。そしてこの罪が社会を混乱させ、犯罪を生み、不道徳を作り出しています。神はこの罪に対して怒っておられます。神はこの罪を必ずさばきます。そしてこの罪をもって神に逆らって生涯を過ごした者を永遠の刑罰、すなわち死後の地獄の永遠の苦しみをもって報いられます。
今、社会がこのような騒然とした、不安に満ちた状態であればこそ、人々は間違った考えを捨てて、天と地を創造された真の神を信じ、神にすがり、神に従って歩む人となる必要があるのです。
この真の神は私たち人類のために驚くべき愛をお示しになられました。神はこの世界に御自身の御子を遣わされました。この方こそイエス・キリストです。主イエス・キリストは、人として33歳の時、その時の宗教家、政治家、権力者たちに憎まれ、ねたまれ、十字架の上に張り付けにされました。その時、主イエスは私たちの、すべての罪を御自分の身に負い、その罪のさばきを御自分の身に受けて下さったのです。実に、主イエスの十字架上の死は私たちを救うためであったのです。そして主イエスは死後三日目に死の中から復活され、死の力を永遠に打ち破ってくださったのです。それはすべて罪を悔い改めて真の神に立ち帰る者が救われ、神の子どもとされ、永遠に生きる者とされるためであったのです。実にイエス・キリストこそあなたが必要としている救い主であり、あなたを死後の地獄から救って永遠のいのちを与え、今の世においてもあなたをサタンの手から解放して神に立ち帰らせ、神なき人生の暗闇から神の愛の光に移し入れることができる唯一の真の救い主であられるのです。あなたも是非、イエス・キリストの十字架上の御死があなたの救いのためであったことを認め、真の神を信じる方となられませんか。
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである
ヨハネの福音書 3章16節


