ふくいん12号 -2001.4-

なぜ、親が幼い子供を虐待し、殺してしまうようなことがあるのでしょうか?
子供のために命を犠牲にした親、子供のために仕事を変えたり、住む所を移った親の話など、
かつてよく聞いた話は、影をひそめ、子供を毒殺した母親、保険金目当てに子供を水死させた親、
カッとなって幼児を蹴り殺した親など、実に人間離れした恐るべき事件が頻発しています
なぜ?どうして?
あってはならない事が毎日のように次から次へとおこっています
世相は時と共にいろいろ変化します。かつて日本はモーレツ時代と言われ、その次に高度成長時代と呼ばれたこともありました。しかしその呼び名も人々から全く忘れ去られてしまったほど、世相は変わりました。そして今の時代をどのような名称で呼ぼうかと考えますと、不況で覆われた灰色の時代といえます。そして今日の新聞に出てくる時代を象徴する事件といえば、幼児虐待ではないでしょうか。
昔も幼児虐待はあったのかもしれませんが、現在のように悲惨な事件が頻発することはなかったのではないかと思います。
なぜ、親が幼い子供を虐待し、殺してしまうようなことがあるのでしょうか。本来親は子供を愛するのではないでしょうか?子供のために命を犠牲にした親、子供のために仕事を変えたり、住む所を移った親の話など、かつてよく聞いた話は、影をひそめ、子供を殺した親、毒殺した母親、保険金目当てに子供を水死させた親、カッとなって幼児をけって殺した親などなど、実に人間離れした恐るべき事件が頻発しています。
37才の母親が「娘の遺体をクーラーボックスに入れて自宅に放置している」と自首
今年3月3日の毎日新聞の記事
28才の母親が交際相手の男性宅で頭をこぶしで殴ったり髪をつかんで…
今年3月18日の毎日新聞の記事
その原因は何であり、どこにあるのでしょうか?
第一に考えられることは、人々から「いのち」の正しい定義がなくなったことです。読者の皆様は「いのち」とは何ですか?という問いに対して、なんとお答えになりますか?幼児虐待の当事者も、いのちの正しい定義を持っていなかったことは明らかです。もしそれを持っていたなら、自分の子を殺すことはなかったはずです。いのちとは何であるか、すなわち人間とは何であるかの正しい定義を見失ってしまったことが、いのちの軽視に至らせたのです。
さて、多くの人々は人間をただ単なる物と見ています。ですから、ある若者は人を殺すことを、人を壊すといいました。幼児虐待も、幼児を物としか見ないところから発しているのではないでしょうか。
物はその持ち主に利益を与えている限り、大切にされますが、損害や不利益を与えるようになると捨てられます。幼児もその幼児を産んだ親たちに利益を与えているならかわいがられますが、物質的、経済的損失や不利益を与えたりするならば、憎まれ、うとんじられ、虐待され、殺されたりするのです。それはすべて人間を物と見るところに原因があります。
無神論者は人間を物と見ています。彼らは宇宙とその中にあるすべてのものは、神という創造主なしに、偶然に、何の計画も意図もなしに出現し始めたと主張しています。ですから、人間もすべて偶然に存在を開始した物質に過ぎないと彼らは信じ、そう主張しています。
では子供たちは学校でどのようなことを教えられるのでしょうか。多くの先生方は神の御存在を認めていません。ですからその先生方は当然、生徒たちに、人間は動く物質である、そして人間はただ欲望のために生きている、すなわち所有欲を満足させ、食欲を満足させ、性欲を満足させるために生きている、と教えそれらの欲望が満足させられるならば幸福である。不幸とはそれらを満足させられないことであると教えています。
その教師たちの教えを信じ、忠実に実行した男女の間に、幸福の追求の結果である、動く物質が生まれてしまった時、その男女にとって子供は愛情の対象ではなく、その男女に精神的経済的不利益を与えるならば、邪魔な存在となり、憎悪の対象となり得るのです。
さて読者の皆様は、無神論についてどうお考えでしょうか?
幼児虐待だけでなく、今日の日本の社会に見られるすべての未青年の問題が無神論哲学にあることは、皆様にも明らかではないでしょうか。彼らは大人たちの無神論哲学の忠実な実行者であるのです。
無神論から生じる結果から見て、無神論は人間を非常に大きな誤りに導く有害な考えであるとお気づきになりませんか。無神論は結果から見て誤りであるばかりか、その根本の土台から間違っているのです。
無神論の土台は宇宙が偶然に発生したという考えです。宇宙ばかりか、その中のすべての生命も、全く偶然に発生したという考えがその根本です。土台が間違っているならば、その上の構造物全体が間違っています。しかし、人々はなぜそのような間違った土台の上に建てられている無神論を好むのでしょうか。それは多くの人々は、自分が従わなければならない神が存在することを嫌っているからです。多くの人々は神に存在してほしくないのです。
しかし、たとい人々が神に存在して欲しくないと思ったとしても、神は存在されます。神が宇宙を創造され、私たち人類をも創造されたのです。神は私たちにご自身の素晴らしさを表わさせるために創造されたのです。
私たちは、どうすればいいのでしょうか?
その人類が神の御存在を否定し、神に反逆し、無神論をとなえ、不道徳を行い、互いに傷つけ合っているのです。神はこれを罪と呼んでおられます。人類はすべて罪を犯し、神から離れ、迷い出てしまいました。その結果、人類は生きる目的を見失ってしまいました。その人類の生涯の終わりに死があります。死は肉体のいのちの終わりであっても、魂の終わりではありません。神は罪を処罰されます。罪を犯した者がさばかれる所は地獄です。地獄は永遠に続きます。読者の方々。この事に心を留めてください。
まず、創造主である神の御存在を認めなければなりません。それは、神が御自身の御存在を、神がお造りになった被造物によって、すべての人々にはっきりと示しておられるからです。人類の中の誰一人、自分は神の存在を知らなかったと言い訳できません。次に、神の御子イエス・キリストが私たちを永遠の地獄の火から救うために十字架の上で死んでくださったことを事実と認め、イエス・キリストを自分の救い主として受け入れなければなりません。神はすべての人に悔い改めて神に立ち返ることを命じておられます。それは、神が、十字架の上で死なれたイエス・キリストをよみがえらせ、この方こそ神の御子であり、私たちの救い主であられる確証をお与えになったからです。
神は御子イエスを救い主として心の中に信仰を持って受け入れるすべての者に、罪の赦しを与えてくださり、天にある神の御国で永遠に生きるように永遠のいのちを与えてくださいます。神はこのようにすばらしい救いを私たちのために備えてくださっておられるのです。ですから、私たちが第一になすべきことは、この救いを受け入れることです。そして、この神が私たちに与えてくださった真理を受け入れ、真理に従って生きることであるのです。
それは無神論から出てきたのです
幼児虐待は、社会の一部だけの問題ではありません。社会全体が真の生き方が分からなくなり、生きる真の目的を見失っていることの現れです。それはあなたの問題でもあるのです。真の神なき人生に希望はありません。肉欲と物欲を満たそうとする努力は、人を堕落はさせても、決して真の満足と喜びを与えません。それはあなたを永遠の地獄へ導くのみです。
神に対する反逆をおやめください。神を信じ、神に立ち返ってください。真の唯一の救い主イエス・キリストを信じ、神の救いを受け入れてください。イエス・キリストはあなたを永遠の地獄から救い、あなたに永遠のいのちを与えてくださいます。真の喜びと平安と希望はここにあるのですから。
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
ヨハネの福音書 3章16節
神を信じ、神に立ち返ってください。


