ふくいん11号 -2000.11-

みなさんは本当のクリスマスの意味をご存知ですか?
12月25日
毎年、この時期になると街のどこに行ってもクリスマスソングが耳に入ってきます。クリスマスソングを聞くと、今年も終わりだなあという実感とともに、何かしら喜ばしい気持ちになるものです。
クリスマスは、もちろんキリストのご誕生をお祝いする日ですが、12月にクリスマスを祝わない国や地域があることをご存知でしょうか。日本も欧米のほとんどの諸国と同じように12月25日にクリスマスを祝います。しかし、たとえばロシアなどは1月7日にクリスマスを祝います。
実は、12月25日は、イエス・キリストの誕生日ではないのです。
この時期は、もともとローマ人にとって農耕暦上での壮大な祭(12月21日~31日)にあたる日でした。古代ローマでは農業神サターン(ギリシアのクロノス神と同一視されることもある)の祭が12月21日~31日、あるいは17日~24日、または1月1日で行われました。この期間のうち特に12月25日は、衰えゆく太陽がふたたびよみがえる冬至の祭の日で、また太陽神が生まれた日とされていました。また、当時のギリシア、ローマでかなりの信仰を集めていたペルシャ起源の太陽神ミトラの誕生日も12月25日と信じられていたようです。また、初代のローマ皇帝アウグスツスも自らのことを太陽の子と称していました。
クリスマスとキリスト信仰
そのような時代背景のなかで、ローマ帝国の属州のひとつユダヤでイエス様は、お生まれになったのです。イエス様は、人として三十三年の生涯を送られ十字架にかかり処刑されたのです。ところが、それからほどなくして弟子達は、死んだはずのイエスがよみがえって今も生きていると言い始めたのです。
弟子達は、「イエス・キリストは死んで三日目によみがえられた。主イエス様こそ、神の御子、救い主だ。この方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、死んでも光と喜びに満ちた天国に行ける。」と伝道を開始しました。弟子達は、「この方以外には救いはない。」「人間の手で作られた偶像を捨てなさい。」とはっきりと語りましたので、当時のローマ政府から大変な迫害を受けました。
統治者の側からするならば、ローマ皇帝は支配をより強固にするために、自分のことを半分神格化して皇帝崇拝を要求していたのですが、それを真っ向から否定されるのですから、クリスチャン達を自分達の政治的基盤を揺るがす反乱分子とみなしたのも無理ないことでした。
ローマ帝国は、それまでの歴史で、地中海地域を支配したどの国々よりも大きく強大でした。その過程ですべての宗教を抹殺していったいきさつがあります。そして大ローマの中心地はやはりローマ市で、そこに至る幹線道路を帝国中に引いていきました。帝国内の道路にはいたるところに「ローマまで何キロ」という立て札が立っていたといいます。
ですから歴代の皇帝は、ユダヤという一地域の新興宗教などわけなく潰せると考えたのでしょう。彼らを迫害していきました。強大なローマ帝国は、他のすべての宗教を潰していったように、クリスチャンの信仰を潰すことが出来たのでしょうか。いいえ、歴史は逆の事実を語っています。ローマ帝国はクリスチャンに負けたのです。
クリスチャン達を迫害した初期の皇帝のひとりにネロがいます。ネロは多くのクリスチャン達を迫害し、コールタールを頭からかけ、火をつけて街のたいまつとして焼き殺したり、猛獣の毛皮をかぶせて、本物のライオンと闘わせて、食い殺させたり、残虐きわまりないことをしました。
しかし、ローマ皇帝が上から押さえつけようとすればするほど、クリスチャンの数は増えていったのです。そして最初の三世紀の間に殉教したクリスチャンの数は、200万人とも300万人とも言われています。なぜこれだけ多くのクリスチャンが殉教したのでしょうか。答えはひとつ、イエス・キリストは、歴史的事実として死んだ後三日目によみがえられたからです。
「利用」されたクリスマス
このようにして、クリスチャンがあまりに増えたために政府当局は、クリスチャンを無視できなくなり、キリスト信仰を認めるようになりました。それが紀元313年のことです。そして今度は逆に、キリストは旧約聖書に正義の太陽であると書かれていることから、この12月25日を、偶像ミトラを拝むことをやめ、イエス・キリスト様の降誕祭として祝うようになったのです。
ちなみに正式にこの日を降誕日であると宣言したのは、西暦350年ローマ教皇ユリウス一世で、354年に同じくローマで降誕祭として祝うようになったとされています。ローマ皇帝は、迫害によってクリスチャンを潰すことは出来ませんでしたが、クリスチャンの信仰を「キリスト教」と呼び、宗教にしてしまうことによって彼らの政治的基盤を強固にしたのです。
イエス・キリストこそ神の御子
さて、あなたはなぜクリスマスを祝っているのでしょうか。実際のところあまりあなたは気にはしていないかもしれませんが、この時季に一度なぜキリストの降誕が世界中で祝われているのかよく考えてみてはどうでしょうか。
実にイエス・キリストこそ、この天地の創造主でいます神の御子であられるのです。神の御子イエス・キリストは処女マリヤを通して、人となられました。それは十字架の上にはりつけにされて死ぬためでした。イエス・キリストは人として33才のとき、罪人の手によって十字架の上に釘付けにされました。このとき、私たちの犯した全ての罪を負われ、私たちの身代わりとなって十字架の上で罪に対するさばきを受けてくださいました。そして主イエス・キリストは死んで後、三日目に死の力を完全に打ち破って復活されたのです。復活の後、40日間、500人以上の弟子たちの目の前に何回もご自身を現してご自分がまことの救い主であられることと天国があることを明らかにしてくださったのです。
神は御子イエス・キリストを自分の救い主として信じる者を皆、その全ての罪を赦して救ってくださるのです。イエス・キリストを信じ受け入れる者に神は永遠のいのちを与えてくださいます。
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
新約聖書 ヨハネの福音書 3章16節
それでは、もし人が自分の罪を神に悔い改めないまま死ぬならば、その人は死後どこに行くのでしょうか。神は正しく、聖なるお方です。罪を必ずさばかなければなりません。神様が用意された救い主イエス・キリストを信じることを拒むことは、神様の用意された救いを拒むことです。それは宇宙の創造主でいます絶対主権者を侮り、神を侮辱することにほかなりません。人間が定めた法律でも犯した者は、法律に従って罰せられなければならないならば、まして神様の用意された救いを拒み、神に逆らう者が処罰を受けなければならないことは当然です。
人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている。
新約聖書 へブル人への手紙 9章27節
どうか今の恵みの時、救いの日に、あなたもまことの神のもとに立ち返られ、この救いを得てくださいますよう、心からおすすめいたします。


