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 美原キリスト教会
 30代男性の証し(2012.02)

今から私がイエス様を自分の救い主として信じ受け入れるまでの話をしたいと思います。
 きっかけは2年前の春,同僚から自分がクリスチャンであることと,イエス様が死んだ後復活された神様であると聴いたことです。そのときは,彼が何を言っているのかまったく理解できませんでした。わたしは神様がおられることやイエス様が死んだ後復活されたことをまったく信じていなかったからです。だから,その中で同僚から福音を聞かされたときは,「この時代にまだこんなことを信じている人がいるのだなぁ」くらいにしか思いませんでした。

その年私は仕事場を移したことから京都から大阪の美原に引越しをしました。同僚の近所に移り住んだことで,彼は伝道のため僕の家に何度か訪問するようになりました。彼と会えることはうれしかったです。ただ、正直言うと「福音の話は余計だなぁ」と思っていました。その話になるたび,どう反論しようかで頭がいっぱいになってしまいあんまり話が耳に入っていきませんでした。そのときの福音に対する僕の印象は「妄信的」「非科学的」「非論理的」でした。

その印象が少し変わったのは初めて参加した特別伝道集会で聴いた御言葉でした。第一コリント人への手紙15章2節の「また、もしあなたがたがよく考えもしないで信じたのでないなら、わたしの宣べ伝えたこの福音のことばをしっかりと保っていれば、この福音によって救われるのです」でした。信じる前によくよく考えなさいという訴えは「妄信的」「非論理的」という福音に対する印象とはずいぶん違うものでした。すごいことを言うものだ。よっぽど確信がなければそんな言葉はいえないはずだ、と聖書に対する捕らえ方が少し変わったような気がしました。ただやはり私の考え方は変わらず自分がクリスチャンになるなどということは夢にも思っていませんでした。

一年間そんな状態が続きメッセージの感想を聞かれても「よくわかりません」とだけ言って帰ることが続きました。このときの教会での話はあまり面白いものでもなく、いつの間にか寝てしまうことも多々ありました。この状態で一年も教会に通い続けられたのはすごく感謝なことだと思います。また,このことを考えると山岸先生から一度「この福音があなたにとって不必要なら捨ててくれてもかまわない」といわれたことを思い出します。「捨てずに」話を聴き続けて本当によかったです。

そして去年の夏、ついに転機がめぐってきました。職場で突然の配置転換があったのです。自分にとってそれは想定外のことで自分がその試練を乗り越える自信がまったくなかったため途方にくれてしまいました。そんなとき伝道集会のメッセージの後そんな自分の現状を山岸先生に伝えたとき,自分と同じように試練にあい祈りながら守られた兄弟の話を聴きました。そのとき素直に「助けてください」という気持ちが芽生え初めてイエス様の御名によって祈ることができました。祈ることによって神様の存在を信じてもよいのではと思うようになりました。ただ、イエス様のことはまだ信じきれず「やっぱりクリスチャンにはなれないな」と思っていました。私はまだそのときは自分の罪深さや,地獄の恐ろしさといったものをあまり理解していませんでした。

それから一ヶ月後津久野の集会で山岸先生と「イエス様を信じることができるよう」お祈りをし、同僚の自宅で伝道VTRを見た後繰り返し「今信じてください!」と言われた時、今までのように反論したり、「よくわからない」などということばが全くでなくなってしまいました。一言で言うと「もう、降参です」という感じでした。「うん、わかった。信じる。信じる。」と半ば無理やり言わされてしまいました。最初のころは「信じたって言っちゃったけど、大丈夫かなぁ」と不安に思っていたし、兄弟姉妹から「拍手されたときの中富さん、きょとんとしていたね」言われるほどでした。そのくらい実感がわかなかったのですが、御言葉を学ぶうち、自分がいかに罪深い存在かということや、イエス様が私の罪のために死なれ、よみがえられたということを信じることによって自分がいかに恐ろしい場所から救われたのかを徐々に学びながら実感することができるようになっていきました。イエス様が身近になるにつれ自分の心が大きく変化していることに気づかされることがありました。それは自分を誇ることが驚くほど減っていったことです。

仕事が9月から本格的に始まり、予想通り移動した先は大変な現場でした。受験を迎えるこの学年で自分は本当に責任ある仕事が勤まるのかまったく見当もつかず、右も左もわからないまま途方にくれる場面もありました。しかし信じる前なら心の中で「どうせ自分なんて」という呟きをよくしていたのですが、イエス様の事がふっと浮かび「自分が」「自分が」と呟くのはやめようと思えるようになりました。そのことが結果的にはやく立ち直れることにつながり、「今私は守られている」と思うことができる場面が何度もありました。このことは仕事だけでなく、日常生活でも思うことができ、自分では絶対にできないと思っていた家族への「信仰の証」もできました。これらのことが自分の力ではなく、聖霊なる神様の導きなのだと実感できました。

この積み重ねから今ではもっとイエス様により頼めるようになりたいと祈ることができるようになり大変感謝しています。これからもイエス様と歩めるようお祈りしていきたいと思っています。ありがとうございました。

 



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