ふくいん新聞(2016春号)―「神がいるなら見せてみろ」

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神がいるなら見せてみろ

 「天と地を造られた神がおられます。」と話すと、「神がいるなら見せてくれ。見る事が出来たら信じる。」と言う人がいます。確かに「百聞は一見にしかず」とことわざにある通り、神を見る事が出来るなら分かりやすいでしょう。しかし、目で見えないからといって存在しないとは限りません。例えば、電波を目で確認することは出来ません。たとえ見えなくても携帯電話が繋がれば電波があることが分かります。他にも電気や紫外線、空気等は目には見えませんが、それらの存在を確認することが出来るのです。同様に神が目に見えなくとも神の存在を知ることが出来るのです。

神が存在される証拠

 神が存在することは神が造られたものを見れば分かります。例えば、花の絵が飾ってあったとします。絵を見れば絵を描いた作者がいることが分かります。誰も作者を見た事がないから作者は存在しない、偶然にこの絵が出来たのだと言う人はいないでしょう。ではその絵の元になった花はどうやって出来たのでしょうか?地球には様々な色や形をした花があります。これはデザイナーがいる証拠です。一枚の花の絵でさえ偶然に出来ないなら、本物の花が偶然に出来る事はありえません。宇宙や、地球、動物、人間も同じです。偶然(進化)では秩序あるものは何万年、何億年経っても出来ません。それらを造られた神が存在されるのです。

 「神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。」(ローマ人への手紙 1章18節)

神を認めない結果

 天地万物を創造された神は私達に命を与え、私達が生きるために必要な水や空気、食物をお与え下さっておられます。その神を認め信じない事、また自分の欲望に従って生き、人間が木や石で作った偶像を拝む事は神に対する罪です。

 「人から出るもの、これが、人を汚すのです。内側から、すなわち、人の心から出て来るものは、悪い考え、不品行、盗み、殺人、姦淫、貪欲、よこしま、欺き、好色、ねたみ、そしり、高ぶり、愚かさであり、これらの悪はみな、内側から出て、人を汚すのです。」(マルコの福音書 7章20-23節)

 神は義なる正しい御方ですから、罪を犯した人間を必ず裁かれます。人間は死んだ後、神の前に立たせられ、罪に対する審判を受けなければならないのです。

 「また私は、死んだ人々が、大きい者も、小さい者も御座の前に立っているのを見た。そして、数々の書物が開かれた。また、別の一つの書物も開かれたが、それは、いのちの書であった。死んだ人々は、これらの書物に書きしるされているところに従って、自分の行いに応じてさばかれた。・・・いのちの書に名のしるされていない者はみな、この火の池に投げ込まれた。」(ヨハネの黙示録 20章12、15節)

 罪を犯した人間は地獄で永遠に苦しまなければならないのです。神を認めない結果は悲劇です。

神が示して下さった愛

 神は、義なる方であられると同時に愛なる方でもあります。罪人である人間をも憐れみ、愛してくださっているのです。そして私たち人間を地獄ではなくて天国に入れるために、ご自分のひとり子のイエス・キリストを地上に遣わしてくださいました。神の御子イエスは、その生涯の最後に十字架刑にかかり、その上で私たちの犯した全ての罪を御自分の身の上に負われました。神の御子が私たちの身代わりになられて、罪のさばきを受けてくださったのです。イエス・キリストは十字架の上で血を流され、死なれました。そして、死後3日目に、復活されました。イエス・キリストこそ復活された唯一の救い主です。神は誰でも、イエスを自分の救い主として信じ受け入れる人の罪をゆるしてくださいます。そして、永遠の天国に迎え入れてくださるのです。何と大きな神の愛でしょう。

 「神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。 私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。」(ヨハネの手紙第一 4章9、10節)

 どうかあなたもイエス・キリストを信じ天国に行く方となってください。

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