ふくいん新聞(2015秋号)―「人生の行き先」

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人生の行き先

 「人の目にはまっすぐに見える道がある。その道の終わりは死の道である。」(箴言 14章12節)

 皆さんはどのような人生を送っておられますか? 目標に向かって着実に前進している人、問題にぶつかって難航している人、色々とおられるでしょう。そのように人生には幾多の生き方がありますが、皆が同じところに向かっているのです。
 そうです。私たちは一日一日着実に死に近づいているのです。そしてついにその日を迎えます。その瞬間、皆様が生きている間に得たすべてのものを手放さなければなりません。実に悲しいことですが、これが人生の定めです。

死は恐怖である

 また、「死ぬ」ということは大きな恐怖です。例えば、家族や親族の誰かがガンの末期であることがわかった場合に、その事実を軽々しく患者本人には言えないでしょう。なぜならガンを告知された人がどれほど悲しみ落ち込むかを恐れるからです。またそれと同時に周りの人たちも死に対して何の解決も持っていないからです。
 希望のある人生、悔いのない人生を送るためには、死とは何かをしっかり考えて、その解決を得なければならないのです。

死と罪の刑罰

 では、死とは何でしょうか。それは罪の報いです。自然界や皆様のからだに目を向けてください。そこには驚くほどすばらしい仕組みや原理があります。簡単な仕組みのもの、例えば爪楊枝でさえ誰かに作られなければできないのですから、それらのものが偶然や勝手に沸いてくるようにできるはずがありません。それは知恵と力に富む神のご存在の確かな証拠です。

 しかし、すべての人はこの神を軽んじて、神を恐れず、自分のために、しかも欲望のために生きているのです。神は、その神への背きの罪に対して報いをお与えになりました。結局、何をやっても満足が得られない、すべてが無意味で無益、これが罪を犯した人間に与えられた重い報いなのです。さらに神は罪を憎み、罪を怒られるお方ですから、人はそれぞれ死んだ後に、生きている間に犯したすべての罪の刑罰を受けなければなりません。それは地獄での永遠の苦しみです。神は皆様の心に良心の働きによって罪の裁きの恐れを感じる感覚を与えておられるのです。それが死に対する恐怖です。

 「…人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている…」(へブル人への手紙 9章27節)

神との関係の修復

 シャツを着るとき、一つ目のボタンの穴を間違えて止めていくと最後にボタンか穴かのどちらかが余ってしまいます。結局は最初からやり直さなければなりません。それと同じように皆様が神との関係を修復しない限りこの問題は解決せず、望みのないむなしい人生で終わり、しかも死後永遠に苦しまなければなりません。

 ではどうすれば、神との関係を修復できるのでしょうか。それは、皆様が神に対して背を向け、自分中心、すなわち欲望を満たすことを第一に生きてこられた罪をお認めになり、またその報いが死後の永遠の刑罰であることを心からお認めになることです。そしてイエス・キリストをご自分の救い主として信じ受け入れることです。そうすることによって神は皆様の罪を赦し、死んでも天国に行く者としてくださいます。

イエス・キリストによる救い

 神は、神の御子イエス・キリストをこの世に遣わされました。主イエス・キリストは裁かれるべき皆様の罪をその身に背負い、十字架上で裁きを受けてくださり、皆様の身代わりに死んでくださいました。そして死後3日目に肉体を持って死よりよみがえり、葬られた墓から出てこられたのです。このことは当時の多くの者が目撃し、直ちに信じ受け入れて命がけでその信仰を守ったことと宣教活動を行ったことから真実であることは明らかです。

 「そこで、子たちはみな血と肉とを持っているので、主もまた同じように、これらのものをお持ちになりました。これは、その死によって、悪魔という、死の力を持つ者を滅ぼし、一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人々を解放してくださるためでした。」(へブル人への手紙 2章14、15節)

 罪を悔い改めてキリストを信じた者は、死の恐れから解放され、日々朽ちない喜びを持って歩むことができます。死んでも天国に行くことができるという希望を持ちつつ、決して裏切ることのない神の愛を喜び楽しみながら安心して生きることができるのです。神はあわれみ深いお方です。地獄に行くばかりの人間にこのようなすばらしい救いを与えてくださるのです。

 ぜひ皆様も悔い改めて神からの救いを得られ、本物の希望と喜びを持つ方となってくださいますようにお勧めいたします。

 「主を求めよ。お会いできる間に。近くにおられるうちに、呼び求めよ。」(イザヤ書 55章6節)

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